吉備路の旅、次の目的地は、造山古墳。
5世紀前半に作られた全国4位の規模を誇る前方後円墳。
そして、人が登ることのできる古墳の中では、日本最大規模。
全長350m、高さ30m。

駐車場で、声をかけてくれた
造山古墳ボランティアガイドの案内で見学することにしました。
墳丘に上る道は、
豪雨災害で使用することができないそうです。
普段は使わないという、ちょっと遠回りの道で登ることになりました。
ワンコも登る事OKと確認とったので、ばすてぃも。
ばすてぃ、始めは並んで階段を上っていましたが、
スロープのが歩きやすいと気づく!
登った所で、
超巨大古墳の周りには、陪塚とよばれる小さな古墳があるということで、
見下ろしながら、説明を。
全部で6基あるうちの1基、帆立貝形古墳が、整備の最中。
遠く、整備されている千足古墳がみえます。
ばすてぃの耳の辺り。
ズームイン

整えられた帆立貝古墳に、
埴輪が並べられ、芝生が敷く復元工事をしてる最中。
地元の人の思いには、中途半端な発掘に蓋をして…という思いもあるらしい。
前方のある神社へ
幅狭く、高さある階段ですけど、
心配する間もなく、軽々登るばすてぃ。
前方部の墳丘は破壊されており、その跡に神社が建てられてます。
神社の横には、破壊された墳丘にあったであろう 石棺。
阿蘇凝灰岩でできているんですって。
他にも、古墳の近くで、
香川県産の安山岩とか、近くで採掘できない石があるんですって。
いかに、古代吉備国が栄えたという事が推察できますね。
神社は、古墳とは関係なく、集落のかたがお祭りしている神社だそうです。
とにかく、ガイドさんの説明が大変興味深く、
古代吉備の繁栄ぶりには、ただただビックリ。
だって、そもそも近畿地方以外にこんな巨大古墳があること知らなかったもの。
平成27年から10年程かけて墳丘周辺で発掘調査をしているので、
これからわかることもあるとの事。なんだかワクワクする話。
それ以上に、地元愛に感激。
ばすてぃも、終始、おとなしく見学。
粗相することもなく、吠えることもなく、ジェントルマンで見学。
豪雨の時、ここら辺も水に浸かったとガイドさんから聞いて、
何処にある河川から溢れたんですか?と聞いたら、
河川からとかでなく、全体が浸かったんだと聞いて、
豪雨の恐ろしさが、解ったような気がしました。
古墳も復旧工事中
その後も、
古墳の上から、
楠正成の戦いがあったとこを観たり、
古墳の後円部に、
備中高松城の水攻めの時、毛利軍の山城として、
築城されてしまった後をみたりと、
古墳時代から、南北朝から戦国時代へと。
ガイドさんつきの観光で、
ただのふらっとの観光が、
とても、深いものとなりました。
古代吉備の国には、全く知識がなかったので、とても新鮮でした。
1流ガイドの田中さんは、古墳時代から現代まで、
質問すると、丁寧に説明してくれました。
旅行に行くと、その土地、その土地の家屋も興味深い。
見た事がなかった、セメント瓦。
安価な瓦だけど、あまり見ないものらしい。
焼き板は、杉を焼いた物で外壁材として優秀な物だそうです。
造山古墳へ行く道すがら、多く見ました。
駐車場に帰ってくると、そこには、
千足古墳の中の石室にあったレリーフを復刻したオブジェ
ただ、図案をひっくり返してだけでなく、回転させている!
そんなところに、当時の職人の工夫がみえるねと、ガイドさん。
その他にも、使う石も復刻なので、そこにもこだわったと。
造山古墳をバックに、写真を撮ってもらいました。
造山古墳の大きさ、なんとなく伝わるでしょうか?
岡山県、吉備の国がこんなに古墳時代に栄えた県だとは知らなかったです。
そして、
最後に、一流ガイドの田中さんが、私達が長野県からきたというと、
長野県と岡山県だけに発掘された物があるんだよと教えてくれました。
馬形帯鉤という、朝鮮半島から渡ってきた馬形のバックルで、
造山古墳の陪塚の榊山古墳もしくは千足古墳からの出土といわれてる6例しかなかった馬形帯鉤が、
平成14年に長野県で1例、出土されたそうです。
見学の後、調べたところ、
長野県長野市浅川端遺跡で出土し、その近くに説明パネルがあるそうです。
後日、こちらも見学に行かねば

2018 岡山・彦根 旅行 Part5:晴れの国 吉備津神社 吉備津彦神社 編へ続く
posted by ニコエコ(秘書) at 23:59| 長野 ☁|
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